かっこよくなりたい

「かっこよくなりたい」という題名だが、かっこよくなりたいとはそこまでは思っていません。逆接的というのもあるが、なりたいと思ったところで仕方がないという諦めに等しい感情が込み上げてきます。ただ、かっこよくなりたいと「そこまで」思っていない、だけであり、その気持ちが皆無というわけでもありません。なんか曖昧な表現ですが、まぁ、そのへんは勘弁してもらうということで。
 かっこいい男の理想論、かっこいい男といっても、最近では(昔からかも)その大半が人それぞれの「価値観の違い」によるものだと思います。例えば、私がいくら渡部篤朗がかっこいい(本当にかっこいいと私は思う)と女子高生にいっても、大体否定されてしまう。じゃあ逆に女子高生が「ジャニーズの誰がかっこいい」と言っても、まず私はそのジャニーズを知らない。(「ジャニーズ」という言葉にアレルギーを感じるのは私だけだろうか)この年になると(とはいえまだ21才だが)ビジュアル的なかっこよさ、というよりはその人の「生き方」に注目し、憧れることの方が多い。例えば、アウトローに生きる人、その人たちはかっこいい。多分、自分がアウトローには生きられない人物だから憧れるのだろう。ビートたけしはかっこいい。フライデーを襲撃しちゃうところがたまらない。パンツの中に覚醒剤を隠しちゃう勝新太郎もかっこいい。元ザ.ブルーハ−ツ、現ハイロウズ甲本ヒロトもかっこよく感じる。病室でタバコを吸って、床に捨てタバコした後に、「俺の周り全てが灰皿だ」と言い切っちゃう人もかっこいい。
 私の憶測であり、決して「はなわ」が歌う歌の1フレーズではないが、多分ヤンキーはモテる。例えば、危機的状況に陥った時、度胸の座ったヤンキーは、落ち着いて対処するが、温室育ちのボンボン野郎には対応しきれない。というより、対応しようとする気が湧かない。 
 では、ビジュアル的にも不十分で、かといってアウトローにも生きられない人はどうするか。そんな人はモテることの理想から脱却するしかない。キツイことを言うが、モテない人は、自分のみじめさが顔に出る。なんか自虐的な文章になってきた。まぁ、ともかく私は今あるかっこいいは諦め、新たなカッコよさを追求していこうと心に決めた。