僕の好きな歌

 僕は言わずと知れた「ミスチル」好きである。誰が何と言おうと、ここは譲れない。僕の中でのミスチルは、クロスロードから始まり、最新曲であるsignに至るのだが、その中でも「タガタメ」(誰がため)は考えさせられる曲の1つである。最近じゃ、「日新カップヌードル」(しょうゆ味)のCMタイアップ曲となっているが、あのCMはユーモア溢れる、かつ平和を訴えかける映像なのである。国境というボーダーラインの変わりに、カップヌードルを並べ、異国民同士が国境と化したカップヌードルを頬張り、カップヌードルによってネガティブに張られた国境をなくす、といった具合のCMである。「ネガティブな国境」と書いたが、どうもピンとこないだろう。それもそのはず、この言葉、僕の感覚で作りました。「ネガティブな国境」具体的にいうなら、朝鮮半島の38度線であり、もう崩壊したベルリンの壁である。逆にポジティブな国境といえば、「EU」が例えとしては妥当だろう。国境はあるとはいえ、パスポートも必要なければ、通貨も統一された。
 話を戻してそのタガタメだが、今回は3つのフレーズについて語りたい。「子供らを被害者に、加害者にもせずに」という1フレーズがたまらない。少年犯罪が多発する現在、ストレートであり、単純な1フレーズが、僕の心にはズシンと来た。 
 2つ目が「左の人、右の人、ふとした場所できっと繋がっているから。片一方を裁けないよな、僕らは連鎖する生き物だよ。」…たまらない!よく、「祖先では繋がっている」というような話はするが、この場合、DNAの領域にまで発展し、隣にいる人との繋がりを表している。要するに、身体のどこかに同じ細胞を持つかもしれない他人たちは、誰1人として人を裁くことなどできないのだ。というような哲学的要素が含まれる。
 3つ目は「戦って戦って、タガタメ戦って、戦って誰勝った?タガタメだ?タガタメだ?タガタメ戦った?」という、高校時代、落語研究部であった桜井和寿らしい言葉でもある。ブッシュは誰がために戦って、誰に勝ったのか?我々のために戦った??それは違う。フセインは負けたのか?イラク全土に平和が訪れた?まだ混乱している。ラディンは勝ち組か?テロルに勝ち負けなどない。いや、戦争に勝ち負けなどない。確かに戦争によって富を得る者もいる。日本はその典型だ。朝鮮特需なくして今の高度経済成長を遂げた日本はありえない。その朝鮮戦争も、バックには米国とソ連がついていた。ベトナム戦争はどうだろう。決してアメリカは勝っていない。ベトコンが勝ったのか?いや、違う。勝者は…いない。

 機会があったら、「タガタメ」聴いてみてください。