僕の安直な恋愛感情

 「僕の安直な恋愛感情」なんか一見すると、僕の恋愛観がものすごく「適当感」や「軽さ」に帯びてる題名であります。いや、決してそんなんではない、と思いたい。僕は恋愛論は「重い」方である。でも、恋愛対象者への行動は「軽い」のかもしれない。次の恋愛へと移行するフットワークは、我ながら軽快に思える。フットワークの軽快さ、これは僕の持つ「恋愛論の重さ」が原動力となっていると思う。フリーの状態の時、多分僕の恋愛論の重さはピークに達する。モチベーションが高いため、好みの対象を見る目もシビアになる。ただ、僕はカッコ悪いから、シビアになる資格がないと自覚している。でも、内に秘める心はやはりシビアなので、どんどん対象は移行していく。誰にも迷惑はかけていないいないつもりである。
 ただ、たった1人の対象をみつけた時、僕はストイックになる。もちろんその対象は「彼女」であり、片思いの誰か、ではない。片思いの誰か、が対象でいちいちストイックしていたら、僕の精神衛生上あまりにも過酷である。「彼女」であるのなら、ストイックになってもいい……僕のできる範囲で(笑)ストイックの許容範囲、これは僕の「価値観」によって決められる。価値観、キレイな「逃げ言葉」でも、すごく汚い逃げ作戦。どんな問題も価値観の違いという一言で片付く。丸く治まるかは別として、話は終わる。でも、最終手段の言葉。
 でも、あえてここで使う!!恋愛を構築する要素の1つに価値観は含まれる。その含有量は多大である。相手の価値観に対し共感できれば良いが、できなければ相手の価値観を許せるほどのキャパが必要となる。そんなキャパを持っているんだ、と自覚していればそれも自分の価値観と言える。「彼女の価値観を受け入れることのできる僕」という存在への価値観と、ほんの少しの自尊心。たいていこの手の男(あるいは女は)「私のが大人だ」と思う。そう思うトコで子供である。大人は、そんなことを気にはしていない、と思う。(僕はまだ子供)
 さて、今回はこの文章の「オチ」をどうするかで非常に悩んでいる。早く村上春樹の新作「アフターダーク」が読みたい。だから適当に落としておきます。


   『今回の文章は、kenwatanabeの価値観の提供でお送りいたしました』