恋愛をするにあたっての必需品

 恋愛をするにあたって、1番なくてはならないもの、それは「寂しさ」だと僕は思う。結論から言ってしまえば、もしこの世に生存する万人に「寂しさ」という感情がないとしたら「恋愛」という言葉は存在せず、「カップル」(死語だったらごめんなさい)という、至極小さな社会は形成されない。「寂しさ」の言葉を使って僕の恋愛哲学を語ると、たいてい僕は大批判をくらう。「本当に好きだから恋愛をするんだよ!!」とか、マジで攻められる。ただ、大体の者の意見は結局のところ、「感情論」なのである。論理だてていない。だから結局のところ論破できていない。間違って欲しくないのは、決して恋愛が寂しさで形成されていることを悪として見ないことである。寂しさは結局のところ、正常な人間の感情なのである。ただ、最近になり「寂しさ」を「甘え」と混同させる輩が多い。恋愛において「甘え」は悪なのである。「寂しさ」と「甘え」、似ているようだが、同じ意味合いだと解釈した場合のカップルはひどく情けない小社会を形成している。
 
 「じゃあお前は恋愛の寂しさ論(ここではそうしておく)を論理的に説明できるのか?」といわれると、すごく困る、というわけはなく、多分できる。

 ではまず、僕の考える寂しさの根源を説明したい。多分、動物の中でも人間ほど寂しさを持つ生き物はいない。なぜなら、受精してからの約1年間、人間は母体の中で生きる。まあ、ほ乳類のそのほとんどは胎内で成長する。しかし、この世に誕生してからが違う。人間は生まれても必ず二足歩行ができるまでの約1年間は、母親に抱かれて育てられる。他の動物、例えば馬であるなら、彼らは生まれてまもなく自力で立ち、歩こうとする。動物の自立はそこから始まるのである。エサを与えられる期間はもちろんあるが、人間に比べれば非常に早い。人間が自立するまでとは、決して二十歳を迎えることではないからである。まぁ、一言で表現するのなら「パラサイト・シングル」がわかりやすい。定職せずに食費も稼がない、それでいて実家に居座り続ける、そんなところだ。 寂しさから少しズレたので話を戻そう。人間の場合、母と子はいっしょにいる時間が非常に長い。要するに、子がここで得る物、それは母親との「一体感」なのである。これは非常に大事なことである。そして子が敵視する相手、それが父親である。もし父親と母親が仲良くしているところを子が目撃したとする。この場合、子は「母親を取られた」という感情を覚え、それが多大なストレスとなるらしい。この辺はフロイト(確かフロイト)が心理学的に説明している。
 まぁ、そのストレスの中心となるものが「寂しさ」なのですね。だからこの感情は誰しもが持つ、正常な感情なのです。人は生まれつき寂しさの感情と共生していく生き物なのです。その寂しさをどうにかして抑えようとする手段の1つとして「恋愛」があるのです。まぁ、頭の固い人には理解してもらえないだろうなぁ。恋愛において寂しさという感情は、本能的に作用しているということを。まぁ、極端に本能的であるから、気付くことはできないだろうけど。

 あぁ、そうそう。甘えるのは悪と言ったけど、それも事実です。ここで言う「甘える」は、スキンシップとかを指すものではありません。カップル間でのお金の貸し借りは、甘えです。なんだろう、最近寂しさと甘えを混同する人(得に男)が増えてきた。多分DVも男の甘えだと僕は思う。

 あっと!言い忘れた!自立できない人間の話したけど、自立できない人間は恋愛できません。それは人間的な自立はもちろんのこと、経済的な自立ができていない人も同じです。だから僕は恋愛できていません。