金融腐食列島自覚

 久々に「お堅い」文章を書こうと思う今日このごろ。
ふと気づきましたが、何事にも必ず「段階」というものがあります。そう、ステップ。
準備→提示→実行→評価  トレーニングのステップ
ホップ→ステップ→ジャンプ  走り幅跳び
おはよう→こんにちは→こんばんは  一日のステップ
生→死

 僕たちの生活の中には必ず「段階」があります。まぁ、その段階のシステムは複雑だろうし、なんせ様々な段階がこの世には存在するから、具体的には説明不可能、というか説明したくないしできない。まぁ、そんな段階という存在でありますので、ものすごく乱暴にいってしまえば、段階=人生なんですけどね。まぁその人生を踏むにあたって、何より大切なことは(どんなことも大切だろうと思うが)「自覚すること」であると僕は思うのです。
 「自覚する」私たちが常日頃自覚していること、それは生きている自覚であります。まぁ多分自然と自覚しているんだろうと僕は願います。じゃあもっとミクロの領域での自覚としますが、ミクロでの自覚が難しい。ミクロでは「自覚しよう」としなくてはいけない。自覚をすることが、努力する箇所を気付かせ、己を成長させる。自覚すべき点が山ほどある現在、僕たちは数々の自覚を見逃してきている。いや、気付かないのではなく、あえて自覚を拒絶した者もいるはず。それは己の中にあるプライドがそうさせたのか、はたまた怠惰な気持ちが自覚を怠らせたのか。もしかしたら必要のない自覚だったのかもしれない。ただいずれにしろ、これらの者は「自覚の存在を気付いてはいるが、自覚の作業をしなかった」だけなので、救いようはあろう。救いようがないのは、「自覚の存在に気付かない者」である。
 まぁ、僕たちはよく「努力が必要」といいますし、聞きますが、それ以前に「何に努力をすべきか」という目的を顕在化させなくてはいけなく、顕在化させるためには自覚をしなくてはいけない。
 段階であらわすのなら努力は2ステップ目であり、1ステップ目は自覚である。

と、ここまで書いたが、正直自分の表現したいことをうまく伝えられないで、歯がゆい気持ちでいます。この世に完全はありませんが、限りなく完全に近い表現に仕上げるには、もっと僕自身が文章能力を向上させ、語彙量を増やすことが必要なのだろう、と自覚していますが。