忘れられぬ場所

 誰にでも、他人には教えたくない場所というものを1つは持っているであろう。もちろん僕にもある。
 昨晩、久しぶりに訪れてみた。そこは他人から見ればただの公園。でも夜更け、皆が寝静まったころの公園は僕の私有地である。お台場の夜景よりも、横浜のネオン街よりも美しく、繊細な情景。下町情緒は失われつつあるけど、虫たちの奏でるハーモニーは、寒空の下、鳴り響く。
 僕はとりあえずベンチに座りタバコをふかす。一筋の煙が立ち上り、群青の空に消え去る。東京でもまだ星はいくつか見られるものだ。そしていつの間にか僕は、その群青の空に飲み込まれた。そして僕の中でいろいろな人が駆け巡る。昔からの親友、良き先輩、良き先生、人生の師匠、好きだった人、彼女であってくれた人、今、好意を抱く人。
 昔の人たちの顔は、まるで曇りガラスのフィルター越しに見ているよう。そして好意を抱く者の顔も曖昧で、ところどころが不鮮明で、己の記憶に自信が持てずにいる。あらゆる事を僕たちは忘れて行く。あらゆる事は、新たな事にかき消される。それが記憶の宿命。しかし皮肉なことに、僕たちは新たな事を探すことに、いつの間にか夢中になっている。「記憶の摂理」とでも言おうか、この空しさ。でも残念と言って良いものか、僕自身も昔のあの人ではなく、今の誰かを思っている。僕はいつのまにか「記憶の摂理」に身を任せている。しかしそれが成長である。
 僕は近々、社会という荒れ狂う海原に投身するであろう。必死にもがき苦しむことへの覚悟は着々と進んでいる。諦めにも等しい覚悟。社会の存在を僕は、諦めの言葉で受け入れるのだろう。屈服人生。社会に僕は土下座する。額から出血するほどの土下座。涙は……そんなものはとうの昔に枯れてしまった。タバコの火が指先に近づく。遠くで自動販売機がジッと僕を見つめる。不安定に、ぼんやりと、冷ややかに。
 僕はあと何回こうしていられるだろうか。あと何回この場に存在するのだろうか。社会の荒波に飲まれても、僕はいつも身近に存在する宝物を、素直にみつめられるのだろうか。もしみつけられた時、僕がまだ君を思っていたら、どんなに幸せだろうか。
 P.S.未来様。もう少し、あと少しだけ、僕らに時間をください。