反省論

 今日は久々に東京駅にて下車をしました。
日本橋高島屋
なんて上流階級なビルディングでしょう。多分、高島屋の地下レストラン街のオムライスは、デミグラスソースなどという、超デリシャスな代物を活用していて、そんなところで私が食するものならば、誰もが
「この西洋カブレめ」
と罵ることでありましょう。だから私は「高島屋のオムライス」は後の人生の楽しみに残しておき、今日はマクドナルドで私の手の届かぬ欲求をなんとか満たした次第でございます。
「プチ西洋カブレ」
これが私の精一杯の「カブレ」であります。「ビックマック」で満たされてしまった私の「カブレ」でも私は自分の持つ
「ケガレなきカブレ」
に対して、羞恥の念を抱きはしないよう努めます。

 さて、「カブレ」きったのち、私は帰路へと足を運ぶわけですが、最近の私はひどく「自分本位」であることに気づかされます。
東京駅構内エスカレーター上りにて,下り線より「盲目なご老人」がやってきました。
久しく私、このご老人の行方が気になり、というのもこれは珍しいことであります。なにしろ先程も述べましたように、近ごろの私ひどく自分本意のため、こんな盲目なご老人を見ても何も気にしないのでありました。
 気になりはしましたが、特に何もしたわけではありません。ただ、その盲目のご老人を少し見守った次第であります。茶色のステッキで、あらゆる公共物、というよりも彼女(女性でありました)にとっては障害物なのでしょうが、それらを「コツコツ」と叩くというよりも、たしなめるように、探るようにして歩んでおりました。そんな光景を見かけた私は、歯がゆさは感じなかったものの、何か無力感のような物を感じました。

 私、別に介護に興味があるわけではありません。なので介護の勉強をすることはなく、介護についても無知な人間であります。また今回のご老人は障害者でもありますが、そちらの方面も全くありません。そしてそのような方を見て、一生懸命生きていることは、ヒシヒシと伝わりますが、同情の念は全くなく、エールを送ることと同時に、己ももっと頑張って生きなくてはという反省をしました。