慟哭の日々よ(1)

私は破綻寸前である。
脳は揺れ、激しい頭痛に襲われている。そして精神は破滅の一途を辿る。
雑踏の都会を足早にくぐり抜けるが、目的の場所は失ったままでいる。
辺りの景色がグレー掛かり、まるで私自身が、白黒テレビのブラウン管の中にいるチャップリンのようであった。色を持たない、あらゆる生命体や静物体が、これほどまでに綺麗に見えることは、以前にもないし多分、以後にもないだろう。
「思考能力はまだ平気みたいだ」
痛む頭をかばいながら、私はごく最近の過去を思い出そうとした。一昨日、昨日の過去ではない。今朝、何時に起き、何を食べ、何を飲んだか、それくらい「ごく最近」の過去である。私は今朝九時に起きた。サンドウィッチを食べ、グレープフルーツジュースを二杯飲み、そしてシャワーを浴びた。濡れた髪をタオルで拭く際、目を閉じ、目を開けた次の瞬間、私はこの世の色、全てを失った。

 何度も言うが、私は至極、破綻寸前の状態なのである。不況の世の中で、相次いで銀行が潰れていった。その度に銀行の頭取たちは、テレビカメラに向かって禿げ上がった頭を私達に向けた。
「一体誰にこのオッサンは頭を下げているのだろう?」と私は思った。
私の破綻は、別に誰に頭を下げるものでもない。私の破綻は、私自身にしか影響を与えない。ナット・キング・コールの「モナリザ」が歪み、ビーチボーイズの「グッドバイブレーション」が、まるで良い振動を起こさず、そして辺りの景色から色が失われる。私の破綻はこんなものであり、何度も言うが、別に誰に迷惑をかけたわけでもなければ、頭を下げる必要もない。私の破綻は、私自身が受け止めれば良いものであり、よって、周りの者たちは、普段通り、人生の歯車の回転数に合わせて歩めば良い。
 私は雑居ビルの非常階段を感覚がないのにも関わらず、一段一段の踏み込みを確かめる「フリ」をしてあがった。全く感覚は蘇らない。それにしても都会の雑居ビルたちは、とてもグレーが似合っている。彼らも破綻したのだろうか?破綻した者は強い。失う物が何もないから。後は置き去りにされるか、破壊されるかのどちらかである。この世はグレーを必要としていない。
 屋上の手すりに触れてみた。表面はザラつき、悪魔のように冷たい。まるで死者の血が通わない手のようであった。やはりビルも破綻していた。私は手すりを触れた瞬間、懐かしさを感じ、居心地の良さを実感した。
そして、最後となるが、私は至極、破綻寸前の状態であった。