宗教持論

 ある方が「宗教」について書いていました。僕は大学生活のうち、約二年間、宗教について勉強しました。もちろん「宗教を勉強する」のではなく、「宗教で勉強する」のであります。
 まず宗教の歴史ですが、おそらく、人類が誕生したその時から宗教はあったのだと思います。なぜなら、人間誰もが宗教心を抱いているからです。宗教団体とは、あるカリスマ性を秘めた人間の価値観や理念を、周囲の人々が認め、共有することから始まると思うのです。
 この方の文中にも出てきた「オウム真理教」もそうですが、現在ある宗教団体のその大半は「新興宗教」と言われています。創価学会霊友会、PL(パーフェクトリバティ)教や天理教、これらも新興宗教であります。では、新興宗教は昔からあったのか、といえば、そうではなく、新興宗教は第二次大戦後から増加しはじめました。もちろん、戦前にも活動をしていたのですが、大日本帝国憲法には「信教の自由」が認められておらず、「神は天皇」と崇められておりましたので、天皇以外を信じる者たちは、厳しく罰せられていたのです。
 伊勢神宮ってありますよね?あれは戦前、日本の最高峰の神社であり、伊勢神宮の上に天皇が存在していることとなっています。そして伊勢神宮の下には、私たちがよく見かける近所の神社なのです。だから、近所の神社でお参りすることは、伊勢神宮に、そして天皇に参拝していることとなるのです。このピラミッドのようなものを確か「神道」といったかな?一神論の日本だったから、天皇万歳をしたわけだし、天皇のために死ぬ、といったことが戦中にあったのであります。
 戦後、DHQ、というかマッカーサーの方がわかりやすいね。マッカーサー日本国憲法の草案を作成したよね?これに「宗教法人法」とか「信教の自由」が組み込まれたんだ。そして新新宗教新興宗教と発展していったんだ。
 このように、宗教の歴史というのって、すごく緻密というか、長い年月を経て今に至るんだけど、現在、宗教法人法で組織を認可されている宗教団体は数多くいるけど、中には「ヤバいよここ」って団体もあるよね。ちなみに、現在は違うけど、オウム真理教も、強引にとはいえ、国から宗教法人として認められていたんだ。なんかよくわからない仕組みになってるよね。一番辛いのは、やっぱり被害にあった人々だと思う。そこは誰もが認めると思う。でも、違う視点から今回は言うけど、そういう団体が増えることで、本当に熱心に信仰をしている他の団体も、かなり被害を受けているんではないかな?
 さてさて、最後になりましたが、これは僕、胸を張って言える言葉であります。
「価値観とか理念とか宗教とか、自分と他人とじゃ相違していて、それが原因でケンカになったり、大きく言えば戦争となったりする。でも、もし僕らがお互いの価値観、理念、宗教を認め合うことができたのなら、どんなに素晴らしいことだろうって思う。お互いを認め合うことができたら、戦争も大量殺人も親殺しも子殺しも、そういった類は減って行くと思う。それができないから、人間は愚かだって言われるんだろうけど。でも、認めるって言葉、僕は大事にしていきたいです。」