諦めのススメ  〜矛盾と言う名の不可抗力〜

最近、年長の方との話が多い私ですが、
「長い物には巻かれろ」的なことがわかりつつあります。
そりゃ、権力や財力がある者が「長い物」にあたりますが、
まぁ、私がここで言う「長い物」は哲学的思考に長けている方々を指します。

多分世界には唯物論者や唯心論者、資本主義者や社会主義者などが山ほどいて、
それは国境を超えずとも、イデオロギーの相違は生じるのでしょう。
イデオロギーを超ミクロ的領域の個人で考えたとしたら、私のそれはひどく安い代物なのでしょうし、そんなミクロな視点で考えていては「キリがない」と言われればそれまでです。
ミクロイデオロギーは十人十色であります。
そして私は思うのです。
「このイデオロギーこそ社会のあらゆる矛盾の構築物である」
今これを読んでいるあなたこそが、矛盾を生産し、私自身も生産しています。
異なるイデオロギーを持つ我々は、それをオリジナルな物として世に独立させ、
やがて他のイデオロギーと対立し相互作用を起こすのであります。そしてその相互の確執によって矛盾は生まれます。
ただ、このような一連の作業は我々にとっては、至って日常的なものなのです。


「じゃあ結局のところ、矛盾社会の存在は日常なものなのか?」

そう。
矛盾は日常なのです。
極端に言えば、あなたが矛盾で、あなたの彼女(彼氏)が矛盾で、私が矛盾で、私の知人が矛盾なのです。

 この形のハッキリしない、アメーバのように如何なる形にも変化をする矛盾に対し、我々はどんな策を持つべきなのでしょうか?
それはただ1つ。
「諦めること」
であります。
負のイメージが、チキンレースという名のデキレース社会で先行逃げきりするこの「諦め」を、我々は如何にして正のイメージとして取り扱えば良いのでしょうか?

 一時期、華原朋美が歌っていました。
「あ〜きらめましょ〜お〜♪あきらめま〜しょ〜お〜♪」
あれほど満面な笑みで歌われてしまったら、もう諦めるしかありません。
彼女は一体何を諦めたかったのかは未だに疑問ですが、
小室との復縁を諦めよう、ということではないのは確かであります。

 結局、社会にはびこる矛盾は、我々が作り上げた不可抗力なのであります。
そう。
矛盾はものすごく自然災害に近い代物なのです。
そして自然災害同様、我々は矛盾という不可抗力に屈服しなければなりません。

 地震に強いと言う住宅はありますが、地震に強い人間というのは聞いたことがありません。
 矛盾に強いのは諦めですが、矛盾に強い人間はいません。


だから私は決めました。
「矛盾という名の大震災に備え、自身の耐震強化を計ろう」
と。
矛盾への耐震強化。
それは諦め度を増すことであります。
ただ、諦めは良薬にも毒にもなりえます。
飲み過ぎには注意しなくてはいけません。
明日は我が身。
いつ何時、あなたにも矛盾の大震災が襲うかわかりません。
しっかり対策は立てておきましょう。