近頃の俺

この間、自分の今までのブログを見返してみた。
ハッキリ言って緩んでいる。
フランクに書き過ぎている、とはいえ、不真面目に書いている気は全くないのだが……


ということで、今日は真面目ではなく、カタい文を書こうと決めた。

お題
「社会的性差について」
うぉ〜かてぇ〜!!俺の口から「社会的性差」だって(笑)
まぁ、聞いて。


最近俺にとってすごく耳障りな言葉が身の周りに出回っていて、
例えば
「看護士」とか「保育士」とか「フライトアテンダント」とかの類。
口が滑って

「スッチ−」

とか言うと、
「スチュワーデスって今はフライトアテンダントって言うんだよ。」
と言われる。(ウーマンリブ=女性解放運動の人たちの前でスッチ−を連発したら、多分俺は疎外される)
そうなると俺はウンザリするわけだ。
とりあえず、ドラマ「スチュワーデス物語」の再放送は終わった。現代の社会的性差からの観点からすれば、「スチュワーデス」の単語は放送コードに引っ掛かる。

こうなると次に廃止される単語は「OL」であろう。
「オフィスレディー」略してOL。
「おーえる」
でも、それならキャリアウーマンもある意味差別用語である。
女性がバリバリ働くことが特別視されているであろう言葉、「キャリアウーマン」


要するに、俺が言いたいのは、
「看護婦」「保母さん」「スチュワーデス」等、
これらの言葉が拒絶され、新たな単語を生み出さなくてはいけなくなった原因は、
「社会的性差」が問題なのではなく、
我々がそれらの言葉に対して、差別的なニュアンスを勝手に想像し、
看護婦=女性差別
みたいなレッテルを貼っていることが問題なのである。
別に「看護婦」という言葉自体に罪はない。

俺は看護婦と聞くと、戦地で傷を負った兵士をいたわる「ナイチンゲール」を思うし、
保母さんは、幼稚園に通っていたころの優しい先生を思うし、
スチュワーデスは、仕事だろうけどあの品のある笑顔が素敵と思う。

こんなにプラス要素を持っている言葉を、差別用語のように扱うのは言葉に失礼だし、
俺に失礼である。
そんなに言葉を気にする社会であるなら、
男の看護婦がいるのなら「看護夫」にすればいいし、
保母さんなら雄の馬を「牡馬(ボバ)」というから「保牡さん」にすればいいし、
スチュワーデスならホストみたいな「ホスワーデス」にすればいい。
主婦がだめなら「主夫」でいい。

こういう言葉の差別みたいなものは、結局のところ我々の考え次第なのである。
看護婦だの看護士だのを言っている暇があるのなら、
看護婦による医療ミスを減らすべきだ。

とはいえ、俺が差別を認証しているわけではない。
差別は人を軽蔑し、集団を軽蔑する。
とても残酷な「慣習」であり「歴史」である。
価値観や理念や宗教観などは違って当然で、これらを認められないからイジメがあり、差別があり、戦争がある。
「受け入れる」必要はない。でも「認める」ことが大事である。

そして、我々はもっと差別の根本を考えなくてはいけないと思う。
「スッチ−」は差別の根本ではない。
もちろん、俺がつね日頃思う、「レディースデー」なるものもまた、差別の根本ではないだろう。
でも時には「メンズデー」なるものが恋しい。