「認める」のススメ

最近、生活サイクルがかなりルーズになっている。
またこんな時間に更新している俺が恐い。
この間の地震の時に
「更新中に地震きたら、一応避難口開けて、揺れながらも打ってるんだろうなぁ」
と思った。例え震度7クラスがきても、俺はモニターにしがみついてタイピングする。
それにしても風邪をひかない。
俺の抵抗力は決してルーズ感を醸し出していないらしい。


今日もまた「カタイ」内容の文を書こうとしている。
いい加減飽きて欲しいと我ながら思うのだが。
俺は今日、何回物事に対して「認める」行為をしただろうか。
酔った客に絡まれた。
でも俺はそいつの存在を認めるため、少しの間話を聞いてやった。
「仕事だからしょうがなく話し相手になってやった?」
それはない。
俺は存在を認めなければ、客だろうが知人だろうがシカトする。
俺はそんな人間だ。


ライブドア堀江社長とフジの日枝社長(取締役だっけ?)がメディアを挟んで罵倒しあう。
端から見てる俺にしてみれば、ただの空論に過ぎないのだが、彼らは必死だ。
正直、こんな空論にメディアを使ってほしくないが、メディアもバカだからハエのように集る。
そんな彼らも俺は認めた。
堀江も日枝もメディアも認めた。
俺は基本的に資本家があまり好かないし、アナーキストであるとも思うし、週刊誌のネタも好きではない。
でも資本家や政治、バカなカメラマンの存在は認める。


ここまでの上文に書かれた事柄、全てを俺は「認める」の言葉でまとめた。
ただ勘違いしてほしくないのは、
認める=受け入れる
ではない。
俺はあらゆる事柄を認めるが、受け入れはしない。
認めるはある意味、「妥協」に近い。
受け入れるはその通り、「受容」である。100%である。
受容は恐い。自身の破綻を覚悟する必要がある。
基本的に子は親を受容する。が、現代の家庭内において、それがままならなくなっている。
親に裏切られる子の行く末は破綻である。
再生を果たす子も中にはいるが、一度は破綻する。
恋人も受容の部類に入る。
そして恋人に裏切られる者の末も破綻である。
金もそうだ。
金=そこにある物
と認知すべきであり、決して
金=自身の物
などと受容してしまえば、結局は破綻を迎えるであろう。
よってどの時代であれ、受容はあまり薦められない。



と、こんな深刻ぶる話でもないわけだが、人の価値観くらいは認められる人間になろうと俺は思う。
キリスト、ヒンドゥーイスラムなどなど、色々な宗教がある。
俺はそんな彼らの思想を認めたい。
断食することも牛肉を食べないことも、それは1つの事実として認める。
でも俺は断食しないし牛肉も食べる。(その文化圏内に俺が存在するのであれば話は別だが)
なぜなら受け入れてはいないから。


それにしても「認める」のサジ加減は至極難しい。