文藝春秋の回

先々週くらいに文藝春秋を買った。
こんな文学雑誌を買ったのは初めてで、そりゃ、都営三田線内で読んでた俺は、
端から見たら、ちょっと売れてる文人か、文学好きなおじいさん、である、
と勝手に思い込んでいた。

こんな雑誌を買ったわけはもちろんあって、どうしても芥川賞受賞作
「グランドフィナーレ」
を読みたかったのである。
最近立て続けに芥川作品を読み込んでいる。
綿谷りさ「蹴りたい〜」金原ひとみ「蛇に〜」村上龍「限りなく〜」
石原慎太郎「太陽の〜」
どれがすごいとかは一概には言えないが、
とりあえず「太陽の季節」を書いた石原慎太郎には驚いた。
とはいえ、読んだのはこれが2度目なのだが、2度目でもビビった。
あの時代に「太陽の季節」のようなストーリーは、明らかに社会への挑発なわけで、
本作へのバッシングも尋常ではなかったらしい。
そりゃ、彼女を腹ませ、悩んで悩んだ挙げ句に堕ろさせ、その彼女は腹膜炎になって死んだ、
なんていうストーリー(かなり端折ったストーリーだが)あの時代の社会には、明らかに
アレルギー物質なわけであって。
まぁ、今現在俺が読んでも、まぁすごいけど、そんな挑発的には受け止められないこの
太陽の季節」は、現代日本でやっと受け入れられるストーリーである。ということは、石原慎太郎はこんな先の社会にまで目を着けた、というのは明らかではないが。


「グランドフィナーレ」を読み終わった。
なぜだろう、どうも入り込めない。
というか、おもしろくない。
途中で書を投げてしまってもよかったのだけれど、それもどうかと思ったから読んだ。
審査員も酷評の嵐であった。実際、今回は芥川賞受賞作の該当はなし、とまで話が進んだらしい。
本作が、作者の文学人生においての「グランドフィナーレ」とならないことを、僕はちょっとだけ思っている。