sign

2月が終わった。
2月の目標は「遊ぶ」その一言に尽きる。
そして僕は僕なりにそれを成し遂げたと思う。
よく喋り、よく食べ、飲み、歌い、動き、少しだけ働き、そしてまた喋る。
三半規管、内臓器官、神経細胞、自身の持ち得る全知全能をフルに活用した。
それでも僕の欲望は残酷なほどに繁殖する。


久々にMr.childrenの「sign」を聴いた。
「なんだってこんな時にこの曲なんだ」
と呟く。
「残された時間が僕らにはあるから、大切にしなきゃと僕らは誓った。」
何を大切にしろって言うんだ。
僕は残りの時間を精一杯楽しんでいる。
遊びたい時に遊び、寝たい時に寝る。
でも、未来の圧力に屈服し、過去の思い出に憤慨する。
現実はカラーの過去になり、そしてセピア色へと化し、ところどころ欠落していく。
欠落した過去を、僕はジグソーパズルのように組み立てて行くのだが、そのピースはどんどん無くなっていってしまう。


近頃の僕の仲間たちは、ここぞとばかりに写真を撮る。
最近じゃデジカメが主流となったから、小さいころに聞いたカメラを撮り終わった後の「フイルムを巻く音」を聞かずに済んでいる。
あんな乾き切った音を今の僕が聞いたら、僕の頭はドロドロになるほど混乱するだろう。
それにしても、なんでみんなカメラを撮るのだろう。
写真は記憶ではない。記録だ。記録は感情を記録できない。
文明の利器はそれほど役立ちはしない。
写真は思い出の環境を残す。
音楽は歌詞とメロディーを残す。
日記は1日の出来事を記し、精算する。
でも感情は残せない。
この行き場のない空しさを誰が癒せると言うのだろう。


残された時間はのこり一ヶ月を切った。
残された時間で一体「何」を大切にしなければいけないかはわからない。
その「何」を僕は模索している。
多分みつからない。
そして時間は残酷だから、みつからずじまいでステージを終えて行く。