若さのススメ

俺はもう22で、自動車免許も持っているし、パスポートも1人でとれるし、銭湯は大人料金だし、
バトルロワイヤルも見れるし、結婚もできる。
でも22という数字、年齢上では全然若いし、スポーツ選手ならピーク時だし、鈴木亜美とはタメだし、郷ひろみよりも30くらい年下だ。


でも俺は実年齢より老けている。


とても痛い。致し方ないが、痛い。


「君はいくつなの?」
「いくつに見える?」
初対面の人と話す時によくある、そう、あれ。
年齢当てクイズは俺からしてみればナンセンスで、というのも当てたところで何も見返りがない。
あるというのなら、50くらいのおばさまに
「20代後半ですか?」
といって、ややウケするくらいのことであり、俺は別に50くらいのおばさまの
「ややウケ」
は求めていない。
それに50くらいのおばさまのする「ヤヤウケ」の74%は「鼻で笑う」である。
おばさまの「鼻笑い」は「必殺」に等しい。


ちなみに俺もやりました、年齢当てクイズの出題者。
解答者Aさん。
「32?」
首筋に立つサブイボを掻きむしりたくなるほど、そいつをぶっ飛ばしたい度大だった俺だが、
出題した自分のナンセンスさを学び、以降、その自虐的出題は控え組である。いや、ベンチ入りもさせない。

恋するハニカミ」という番組がやっている。
なかやまきんに君がガールと話している。
そのレディーは「いとうあいこ」という。戦隊モノの「モモレンジャー」あたりをやっているみたいで、
かなり可愛い。
以前まで女の子を「女児」と呼んでいたが、この言葉を使う前から自身、差別的要素が含まれているのではないか?という不安と、milosさんに言われたことが合致したために使用ストップ。


そういえば、最近ガール(確定)と喋っていない。
俺の周りを野郎が囲んでいる時間が増えている。
次にガールと話す時、多分俺はドギマギする。そのドギマギさは尋常ではなく、お笑い芸人であれば、
噛み倒しだし、サッカー選手ならインサイドキックをするのに土を蹴るだろうし、水泳選手なら多量の水を
飲む。
年上のガールフレンドが俺にはいない。
1つ2つではなく、せめて5つ6つくらい離れているガールフレンドである。
年上のガールとはどんな話をするのかが疑問で、それは一種の魅力でもある。その魅力が恋へと変化するかは別として、非常に興味深い。
とはいえ、同年代のガールとの話もおもしろい、と思う。
年下のガールと話す機会は多々あったが、俺の場合、気を使っているみたいである。
それは疲れを感じる「気づかい」ではないにしろ、気を使っている自分を感じる。ただ、その「気」を言語化するのは至極困難である。
その点、同年代のガールには気を使っていないと思う。ただ、緊張感が発生する。この「緊張感」は「疲労」を誘発する。しかし、嫌な疲労感ではなく、どちらかといえば心地よい。それは、何かを彼女にプレゼントした時に感じる、彼氏の自己満足的喜びに近い。この表現、厳密に言えば違うが、ニュアンス的には近いものがある。

結局年上ガールは、俺の中で未知なる存在であるのだが、何となくそれはそれで良い気もする。
多分この気持ちは、何らかの形で俺の生活のモチベーションとなっているのかもしれない。
生活のモチベーションであるのなら、年上ガールに会わないのも、それもまた良しとしよう。
ただ、年上ガールに出会った場合、俺の老化は加速を増すだろう。
その時は「シブさ」という「若さからの逃げ」の表現を駆使するしかない。
「シブい」という言葉が、「若さの喪失」との妥協的表現だと感じる者は俺だけじゃない、と願いたい。
俺は「若さ」の川から「シブさ」の大海原に流された。
「シブさ」の海は「塩辛さ」も合わせ持つ。
川は「塩辛さ」を兼ね備えていない。