オレンジデイズ(不眠不休の40時間)

オレンジデイズ
TBS系の連続青春ドラマ
僕の1日はこれを理想に始まる。


7時起床。
緊張感のない、マンネリ化された日常のうちの1つに過ぎない朝だった。
10時半過ぎ、卒業式会場に到着。
人混みを嫌う僕にとって、何とも不都合なシチュエーション。
終始、ざわめき続いた卒業式に一言。


オレンジデイズじゃない。


オレンジデイズを誘発する要素ゼロな式に、軽く憤慨な僕。


式会場を数人で抜け出し、青春の日々を語り合い、手に取った卒業証書を、皆で天に向かって投げた。
そんなオレンジデイズはなく、すみやかに卒業証書を紙袋に収めた。


場所は変わり、東京湾クルージングパーティー
正直、あまり記憶がない。
酔っていたわけではないが(グラス1杯のビールで酔うハズもない)僕の意識はあまりにも「オレンジデイズ」に執着しているものだから、少しでも周りの情景を記憶しよう、という方に意識が働き、自分の感情を上げることは忘れ去られていた。
そう、自分の感情をベースとした記憶が希薄である。
誰が泣き、誰と誰が恋愛話に花を咲かせ、誰が1人夜景に黄昏れていたか。そんな記憶は腐るほど沢山あるのに、その時の僕の感情は全くといって皆無に近い。


僕のオレンジデイズは一体誰に求めれば良いのだろう?
2次会の飲みにも、3次会のボーリングにも、4次会のジョナサンにも、5次会のカラオケにも、6次会の銭湯にも、7次会のソバ屋にも、オレンジデイズは見つからなかった。


そんな僕にオレンジデイズをくれたのは、8次会のカラオケ第2部に参加してくれたKチャンである。
Kチャンは沖縄県出身のガールである。
暖かい環境の地域の人々は、とても穏やかであるという。
Kチャンはその代名詞的存在と言えよう。
なんせKチャンは、その穏やかさ、優しさが全面からにじみ出ている、そう言っても過言ではない。
8次会に残ったA君、M君、共にそれを感じずにはいられなかったに違いない。
だから、Kチャンが笑顔になれば、僕らは自ずと笑顔になるのだ。
ただ、目の下に大きなクマを作った僕らの笑顔は、多分Kチャンには恐怖と絶望を与えたに違いない。
でも、そんなことはお構い無しに僕らは笑った。
バカ笑いをするではなく、どこか安堵感を匂わせる、そんな優しい笑い。
音楽ならアップテンポではなく、荘厳なバラード調。
クマを作る僕らに、その優しさは安心を与える。


優しい時間=オレンジデイズ
……いや、違う。


僕らの9次会、そして僕のオレンジデイズは学校にて催された。
A君は他用のために欠席し、僕ら3人は学校のテラスで語り合った。
M君の社会の厳しさ話に、僕とKチャンは少なからず驚愕をするのだけれど、それでもあの時間は僕にとってはオレンジデイズであった。


「優しさと厳しさ、歓喜と失望が混同したもの=オレンジデイズ


僕はオレンジデイズを堪能しようと、黙ってM君とKチャンの会話を聞いていた。
この沈黙に、不思議と睡魔の干渉は訪れない。


僕はとことん寂しがり屋の人間だと痛感した。
出来る限り1人身でいる時間を避けたいが為に、帰りの電車の線を変えた。
「こっちの線で帰ろうよ」
そう笑顔で薦めてくれたKチャンに、僕は心から感謝していた。
新宿駅にて僕ら3人は別れた。
中央線の階段口に、人込みと共に吸い込まれて行くKチャンを見ると、心がひどく疼き、そして「スカスカ」になっていくのを感じた。


別れの後、1人で乗る電車は、僕には厳しすぎる環境であった。


翌朝、布団の中で目を覚ました僕の心の「スカスカ」は、ある程度修復していた。
ただ、修復しきれていない部分が、未だに「ポッカリ」と空いている。
僕のオレンジデイズ最終回は、約40時間の末にピリオドが打たれた。
心の「ポッカリ」は、時間の経過が埋め合わせてくれるだろう。