メガネは大人の一部です

「メガネはお顔の一部です」
確かこんなキャッチフレーズのCMがいつのころか流行った。
俺の視力が降下していったのは確か小学6年生くらいだった。
普段裸眼少年だった子が、ある日突然メガネ少年へと変貌した時。それはモテの初日でもある。
とりあえず初日は俺のメガネでありながら俺の物ではなくなる。
レンズは指紋でベタベタになる。
でもそれを昼休みにフキフキしちゃう自分に、メガネ少年初級ながら優越感を感じてしまうのだ。
ただメガネ少年のモテは一週間続かない。
モテからキモに変わるのは体育の時間を迎えた時で、メガネ少年の約8割は「メガネストッパー」を使う。正式名称は知らないが、明らかにメガネのズレをストップさせる働きを持つあの黒ゴム。


そんなネイティブメガネアンな俺がメガネに卒業を告げたのは高校1年の時。
「使い捨てコンタクトレンズ
全く文明の利器には頭が下がる。
「使い捨てメガネ」
など作った時には、コスト削減を叫ぶ世の中への挑発と受け止められてしまう。
挑発発言はメガネバスターがギリだろう。
メガネをバスターしたら、多分ネイティブメガネアンは憤慨する。


だが、メガネ再入学も遅くなかった。
メガネに愛しさを感じた俺は、再びメガネズに会いに行く。メガネだってこう言ってくれた。
「今、eyeに行きます」
メガネズの知的レベルは上がっていた。明らかにレンズに磨きをかけていた。そしてビジュアルにもこだわるメガネズ。そんなメガネズから俺は「青メガネ」をチョイス。
ただ、青メガネは俺と共に寝ている時、永久の眠りについた。
死因「俺の寝返りによっての圧迫死」


それ以来、俺はメガネズとあっていない。
それなのに丸井の垂れ幕は無神経だから、
「大人のメガネ F8」
F8まで行ってやろうと思った俺。階段をダッシュで駆け上がれば、丸井の垂れ幕による宣伝効果に負けた俺だって許せてしまうかもしれない。
でも俺はどうにか思い止まった。メガネはダッシュして買いに行くものではない。カッコイイ大人はメガネダッシュなんかしない。


「メガネは大人の一部です」