自制が効かないことの恐さ

前回更新した日が4月30日、そして今、12時を回って5月5日と日にちが変わりました。
この4日間で、僕は「ドウデモイイモノ」「『ドウデモイイモノ』の舞台裏」そして「最終回」と、
この3作品について思考をめぐらせていました。
結論から言うと、かなり「恐さ」を感じていました。
というのも僕の場合、ブログを書くのに前もっての「展開」を考えていません。
書きたいこと、要するにタイトルさえ決まってしまえば、その先はその場その場でストーリーを展開させていっているのです。
前もっての文章構成が皆無なのです。
だから文章のクオリティーなどはともかくとして、書くことに苦労したことがないのは事実であります。
ただそのような書き方によって、1つ大きな問題ができました。
「もう1人の自分が1人歩きしている」
これであります。
ブログ内、いや、文章内での自分(自分の発言)は明らかに「もう1人の自分」なのであります。
だから時々、自分で書いた文を俯瞰して読むと、ものすごくウザくてバカだと思います。
そう、バカ。



これ以上「もう1人の自分」に好き勝手なことはさせてはいけないと思います。
下手をすると、現実の僕に負担が来る可能性があります。
実際、「現実の僕」はここまで深く考えてはいないと思います。
とはいえ、すでに「もう1人の自分」はネット上で1人歩きをはじめ、最近ではその歩き方に「闊歩」という言葉が加わっています。
「1人闊歩」をもう僕は止められないと諦めています。
そこである方と検討した結果(多分検討した)僕が「ニューキャラクタ−」を創造することとなりました。
その「ニューキャラクター」に、僕から生まれる「1人闊歩キャラ」を捕獲させるのであります。
そうすれば僕は安心してこれからもこのブログを続けられます。



そこでみなさんにこの「ニューキャラクター」の名付け親になってもらおうと思ったのですが、
明らかにこれは、
「寂しいのでコメントください」
ジェスチャーになってしまうのでやめます。


命名
「ふかわくん」(仮)

理由は単に「ふかわりょう」が好きだからです。
でも今の「ふかわりょう」ではなくて、
「お前んちの表札って、かまぼこの板だろ?」
とか、
「先生、田中君がポカリ凍らせて持ってきてます」
などを鍵盤ハーモニカの
「ティロリロー、ティロリロー」
の音色と共に喋っていた頃の「昔ふかわ」であります。

「ふかわくん」をどうぞよろしくお願いします。



グレート・ギャツビー (新潮文庫)

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春樹好きならおさえておきたいこの一冊。
半島を出よ (上)

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かなりおもしろいみたいです。