お墓参り

これは僕が中学校2年生の思春期であった夏の日のこと。
初夏と言いながらも、連日30度を越す真夏日和が続いた。
そして今日、その日々に釘を刺すかのような激しく冷たい雨が明け方に降った。
連日の日照りに参っていた都会のコンクリートたちは、ここぞとばかりに冷たく甘い汁を吸い、姿を真っ黒くしていた。
そんな朝は、都会に充満した余熱と雨とが融合し、何とも言えない香りを醸し出す。
雨の香りは始め鼻孔の奥を刺激するが、今ではそれも僕にとって「お墓参り」の香りとなっている。
そしてこんな日に、僕は父と2人でおじいさんのお墓参りに行った。
父は寡黙で威厳のある、今どき珍しい「昭和」な人であった。
そんな父の車の隣にちょこんと座った僕は、何から話して良いかわからず、目の置き場に困ったため、ただただ外のドンヨリとした曇り空を眺めていた。


墓地には様々な種類のお墓があり、中には大富豪が建てたとも思わせる大理石のものまであった。
ただ、僕のおじいさんのお墓は、墓地の片隅にポツンと、まるでかくれんぼをしている子供が、隠れ場所をみつけられず途方に暮れて立ち尽くしているかのようであった。
父はそんなお墓にひしゃくで水を頭からかけ、そしてところどころに附着した「コケ」をタワシでこすり落としていた。
僕が小学生の時、父の大きく厚い背中を汗をかきながらこすっていたように、父もそのお墓を丹念にこすりあげていた。
すると口数の少ないあの父がポツリと言った。
「俺が死んだら遺骨は海に流せ。大平洋に頼む。日本海では冷たく寂しいから」
僕は父の「死んだら」の言葉にかなり動揺したが、お墓参りでならこのセリフも成立するものだと思い、色々な感情のこもった「沈黙」をつくった。
そしてその「沈黙」で父との間になる不鮮明な壁が消えた時に僕は言った。
「お墓、お墓はどうするの?」
父はなおも黙っておじいさんの墓石をこすっている。僕はその姿を相変わらず黙って見ていた。
「俺に墓はいらん。」
そういって僕と父の会話は再び途切れた。
また雨が降ってきた。
そして当分、僕はお墓参りには行かないであろう。
この雨も夜にはやみそうだ。
明日からは再びあの熱さが姿を現す。
夏本番の予兆に、僕は少したじろいでいる。