クズ社会の根本は「滑稽」である。

社員旅行で伊香保に行ってきました。
新人であるための肩身の狭さ、上司への限度のない「よいしょ」をしなくてはいけないというこの上ないシビアな世界に、僕はいささか、というよりも激しく嫌悪感を抱きつつ家を後にしました。
結論から言うと、僕の中で、


社会=バカになれ


以上が成立しました。
どこの会社にもいると思います。人前で酔うことを執拗に拒む上司。その人の気持ちはわかりませんが、酔わないでいることが己のプライドと現状ポストを保つ最大の要因なのでしょう。
別に僕は良いんです。その人がどう人と接していようとも。ただ、少し寂しいです。 
事実、僕の会社の上司も、酒が入っていない状態で僕に土下座をするのです。もちろん僕は立場上、彼よりも数センチ低く頭を下げるのですが、何とも空しく滑稽で、終いには怒りのあまり土下座している彼の目の前で仁王立ちしてしまおうか、とも考える始末であります。
その上司が酔っておらず、新人の僕は酔っている。彼はそんな僕を見て多分バカだと思ったのでしょうけど、それはそれで良いんです。酔わないことでプライドを保つのか、理性が保てるくらいの酔い方で場を楽しむのか、僕は後者を絶対的に支持します。その場を楽しめる人は得をするし、未来は楽しいに決まってる、という人は、成功するであろう人間か、単なるバカだと思います。
とにもかくにも、その上司からは「エンジョイ」が伺えないのであったのです。「他人に気付かれてしまうほどの作り笑い」そんなものを上司に見せられた時、僕のアルコールから来る高揚は氷河期のごとく興醒めしてしまぅったのであります。


ただ、バカになれる上司はいないわけではなく、むしろほぼ全員がバカになれていたのではないか、と思うのも事実であります。そんな親愛なる「バカになった上司さんたち」を見ると、僕は「社会も捨てたもんじゃないぜ!」と、キャプテン翼のツバサ君がイレブンに喝を入れる時のようなセリフを心中叫びました。
ツバサ君のようなポジティブ精神となっていた僕は、総勢40人全員のお酌をしたのであります。そしてその内の10人ほどの上司に飲まされまたのであります。
「なんだかんだで、お前ら最高じゃん!」
などとは口が裂ければ言えますが、昭和初頭の巷ギャグ「おくちチャック」で沈黙に徹しました。


「結局、宴会楽しんでるんじゃない。」
と右斜め上に視線を注ぎながら、僕に冷たいセリフを呟いているそこの読者さん、
それは違いますよ。僕の楽しみはバスの車中にあったのですよ。
何?サプライズ的出来事?そんなものはありません、悪しからず。
ただ、仕事の話を何でも出来そうな先輩SさんとKさんとみつけたのでありますよ。
特にSさんとは、以前も職場の核心迫る話を言い聞きした仲であります。(そう願いたい)
ただ残念なことに、基本的に職場の先輩に本音を言うのを僕は拒みます。そんなガラに合わず閉鎖的な僕なので、初めて会話を共にしたKさんとは、フランクな会話は程よく話しましたが、仕事の話には少し慎重に言葉を模索していたのが事実であります。


社員旅行で僕は学びました。
「話相手を選ぶこと、話す言葉を選ぶこと」
まぁ喜ばしいことに、話相手を選ぶことは難を得ずできそうであります。ただ、やはり言葉は選び続けるでしょう。
約2ヶ月でSさん1人。
少ない?
いや、上出来です。
心許せそうな先輩が1人、それだけでもかなり救われるものです。
でも、シラフで酔った僕に土下座をするような上司には金輪際、尊敬などという言葉は僕の中で生まれることはないでしょう。酔った新入社員の素性をシラフで探る上司などクソくらえであり、それは僕に対する侮辱にさえ思えてしょうがないのでありました。 

思った通り、クズ社会の根本は「滑稽」でありました。
その上司は僕のその思いを一晩で露呈させてくれたのでありました。